2016年2月度     「冬が来た…」          広報 にしきの梟

 

「冬が来た」      高村 光太郎

 

きっぱりと冬が来た                              冬よ

 

八ツ手の白い花も消え                           僕に来い、僕に来い
公孫樹(いちょう)の木も箒になった                    僕は冬の力、冬は僕の餌食だ

 

きりきりともみ込むような冬が来た                    しみ透れ、つきぬけ
人にいやがられる冬                             草木に背かれ、虫類に逃げられる冬が来た

 

刃物のような冬が来た                               

 

今年蓼科の冬は暖かい…!

 

  12月に山荘の庭で立派な椎茸4本収穫

 

  1月の中旬になっても、雪が全く見られず枯葉と枯草の茶色の世界

 

鹿も餌が豊富で中々我が家の庭を襲って来ないので、ニンマリ…

 

  ところが118日の朝起きて見ると…辺りは真っ白 銀世界…

 

  3日間降り続け朝の最低気温零下15℃

 

  頭にガーンと響く空気の冷たさ… そう蓼科に冬が来た…!!

 

  白く眩しいそして冷たく美しい蓼科にいつもの冬が来た…

 

 

 オーナー会の皆様 新年明けましておめでとうございます。

 本年も引き続きオーナー会の活動にご協力宜しくお願いします。
                         蓼科ビレッジオーナー会会長  山本恵志郎

 

近頃、銀座を歩いても浅草、秋葉原も外国からの観光客で溢れています。日本を訪れる外国人の数は今年は2000万人に上回るようです。
 観光関連ほど効率のいいビジネスはないでしょう。泊まって、食べて、移動して、ものを買って、しかもオモテナシに始まる日本の素晴らしさもしっかり見て、感じてもらえる。

観光、観光と言っても観光立国のフランス、イタリア、ドイツ、タイにはまだまだとても及ばないが日本には身近な所に素晴らしい観光資源の素材が転がっています。 更に外から人を呼ぶには観光資源に付加価値が必要になってきます。

この秋、北海道の川に鮭が遡上し、釣りができると聞き及んで早速、車にテントを積んで知床へ出かけました。オホーツクの荒波がザバンザバン打ち寄せる海岸のハマナスの茂みにテントを張って、秋鮭釣りに熱中しました。4年間北太平洋で育った大きな鮭が沢山釣れました。周りは地元釣り客でごった返していたが、釣り場も駐車場もテント場も釣りの規則も無整備で無茶苦茶でした。アラスカではあちこちに釣りのスポットが整備されて夏にはキャンプと釣りに世界中から人が押し寄せ自然を楽しんでいます。北海道も地方は過疎化してゴーストタウンとなりつつあります。

少し手を加え知恵を使えば北海道はアジアのアラスカになりうるでしょう。まず宝の原石に気ずきたいものです。

 

四季折々の色彩鮮やかな移り変わり、そんな中に縦横無尽なトレッキングコース、サイクリングコース、快適なキャンプ場、一汗かいたら温泉が待っている。

これらは人々の健康増進と生活の質の向上に貢献できます。ことに雪景色は東南アジアの人々にとっては天国のはず、病院を建てるよりはるかに安上がりでしょう。

山を取り巻くトレッキングコース、キャンプ場等々これらはなんと蓼科、八ヶ岳周辺で全部御用達できる観光資源であります。

知床同様、地元民がその価値と利用方法に関心がないように見えます。
まずは地元民が四季折々の自然に接し身を持ってその素晴らしさ、生きる喜びと云ったものを体験し、宝に気がつかないことには話が始まらないでしょう。

 

蓼科別荘地の将来を考える上でも、そこの自然の素晴らしさを体感することが大事な一歩でしょう。
  首都圏、中部圏、関西からも近い自然の宝庫、八ヶ岳、蓼科は大きな魅力に溢れています。

 

まずは私たち世代が、その魅力に気づき、次の世代に語り一緒に知恵を出し合い汗をかいて蓼科から日本を変えていきませんか。

 

次の写真をご覧下さい。

八ヶ岳を控えた茅野市には国宝が2つあるようですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

 

 

 

 今年の秋は暖かい日が多く、のんびりと過ごしていたら、やはり冬将軍はやって来ました。いよいよ雪の季節の到来です。
 
色とりどりの紅葉が終わり、麦草峠も冬期閉鎖となり、静な少し寂しい空間が真っ白な雪でお化粧をする季節がやって来ます。
 
夏の緑の木立の中で過ごすのとは違い、凛とした冷気の中で雪に覆われた八ヶ岳を見るのも良いですよ!
 
霜柱をザクザクと踏みながらの散歩、新雪の上に自分の足跡を付けながらの散歩も楽しいですよ!

 
皆様、冬の蓼科へもおいでくだい。

 また、今年もオーナー会活動にご参加、ご協力を頂きありがとうございました。
来年も色々な事にチャレンジして、新しい仲間作りや行事を行って、より良いオーナー会の活動を進めて行きたいと思います。
 
益々のご協力、ご参加、ご意見をお願い致します。

                                                                               桔梗が丘     西岡

 



11月になりました、木々の紅葉も終わりましたが、目を下に向けると一面の赤、黄色、緑の落ち葉です。

又11月の季節でしか見ることのできない紅葉の景色です。

夏の間木々の葉が茂り、遠くの山々を見ることができませんでしたが、11月は、木々の葉も落ちて見通しもよくなり、山荘からも遠くの山々が見ることができます。

蓼科高原は、いよいよ冬支度に入ります。

雪がふるまでの間、動物たちは、冬支度に忙しく働いています。

又、蓼科高原の雪景色は、とても綺麗だと思いますので、是非皆さんも体験してください。

                                      麦草平  SF

 



 

                              

10月。10月と言えば紅葉。1年の中でも最も好きな季節だ。

特に、山の三段紅葉は絶景である。

山頂の雪の白、中間の紅葉の赤、麓の緑。

天気も安定して登山最適期でもある。

しかし、紅葉を見るために遠くへ行く必要はない。

蓼科という恵まれた地に住む者にとって、見どころは沢山ある。

9月末には白駒池から始まり、10月中旬の横谷観音。

わが山荘のベランダから見る紅葉も遜色がない。                       白駒池の紅葉


紅葉には黄色に色付くものと赤に色付くものがある。

 

黄色に色付く仕組みは・・・

イチョウなど黄色に色付く葉には黄色の色素(カロテノイド)と緑色に見える葉緑体(クロロフィルと呼ばれる光合成色素を含む)の両方がある。

夏の間は光合成が活発に行われ緑色に見えているが、秋になり気温が低く日照時間が短くなると光合成効率が悪くなるため緑色が薄くなり、黄色が見えるようになる。

 

赤に見える紅葉の場合は・・・

秋になると葉の根元と枝の間に「離層」と呼ばれるコルク状の物質が形成され、葉と枝の間の物質の交換を妨げるようになってくる。

すると葉で作られたブドウ糖が枝に流れず葉に蓄積されるようになり、日光、特に紫外線が当たることでブドウ糖が分解され、それまで存在しなかった新たな色素、赤色の「アントシアン」が作られ、赤色に見える。

 

ベランダでのんびり眺めていると、昔「なぜだろう」と考え調べた事を思い出した。

ゆったりとしたティータイムが最高である。


                   東十文字平の紅葉


                        東十文字平  T.S.




「秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる」 藤原敏行「古今和歌集より。

しかし、ここ蓼科高原では8月下旬に五感で秋を感じる。例えば視覚。先日「小津の散歩道」を歩いて一本桜まで行くとススキが穂を出しているし、近くの山荘の煙突からは薪ストーブの煙が朝から立ちのぼっていた。あるいは味覚。トマトやズッキーニなどの夏野菜の後サツマイモなどの収穫を楽しみに小さな畑での農作業も苦にはならない。曰く「ここは空気がおいしい」ある山荘でのコンサートに来蓼したバイオリン奏者も語っていた。

食欲の秋はまた芸術の秋。夏の間蓼科高原では様々のライブや催しがあったが、少し足をのばせば「諏訪湖まちじゅう芸術祭」が、828日から始まっている。諏訪・岡谷の美術館や博物館17館が参加しているので楽しみだ。更に926日、27日には小津安二郎記念「蓼科高原映画祭」も控えている。

また秋には、鹿にとってカップリングの季節だ。ある人は食害を理由に鹿を駆除しなければと言う。貴重な高山植物や樹木・農作物・園芸草花などの被害は、人間以外に天敵がいない鹿が増えすぎたせいなのか。そうかもしれない。ただ私は、ある程度の数の鹿と人間(日本では減りつつある)が共生・共存できないか、ついつい考えてしまう。例えば・・~山内町の地獄谷温泉に入る猿の向こうを張って、蓼科高原では一頭の鹿がある日足湯に入ってみた。するととても気持ちがいいので仲間を誘ったらみんな大満足。

それが評判となり東京始め全国から一目見ようと観光客が集まるは、はたまた海外からも「ディアハンター」ならぬ「ディアルッカー」が集まったとさ。鹿のおかげで蓼科高原も活性化して目出度し、目出度し~そんな夢想にひたる秋の夜長です。

                         十文字平  H・K




生きがい 「蓼科ライフスタイル」


先日ある雑誌に生きがいについての記事を目にしました。「生きがい」いろいろな場面で使われる言葉であるが、実は日本独特の言い回しといわれる。英語では、[reason for living][a purpose in life]などと表現するらしいがどうもニュアンスが違う。理由や目的というより生きる喜び、張合いといった方がしっくりくるのではないでしょうか。ではわたくし共にとって生きる歓びとはどんなものであるのか、ある調査結果によりますと、35歳から74歳までの成人男性の生きる喜びとは 趣味、子供、孫、親、と続き、子育てを終了したシニア世代も大差ありません。シニア世代男性の趣味の中で最も多いのが旅行で目的は「スポーツ」「一人で気ままに過ごす」「自然とのふれあい」「友人など家族以外の人との交流」と書かれておりました。わたくしが思うにシニア世代の趣味はまさに蓼科ビレッジの生活スタイルそのものではないのか。今や平均寿命は男性80.61歳、女性86.61歳です。一方健康寿命は男性71.19歳、女性74.21歳で、平均寿命との差が男性9年、女性12年となります。この差の年数は何らかの介護がないと日常生活ができない期間、つまり介護が必要な期間となります。これは大問題です高齢化が進む中で、この健康寿命をいかに延ばすか、厚労省も国民の健康づくり計画案にその目標を盛り込むと聞いております。家にこもって病に取りつかれるより、蓼科の自然に触れて仲間と語り合って健康を維持し、ついでにおいしいものを食べ、明るく楽しい生涯を全うしたいものです。挨拶だけの近所付き合いから一歩進んでまずは仲間作りから、ビレッジのオーナー会に入会各種行事に参加、貸農園での畑友、近くの温泉での湯友、犬の散歩から犬友など多種多彩。自身の健康維持にも関心があります。蓼科の森林の中、とりわけ自然の道(できれば舗装路ではない)をユルサンポ(山歩)をお勧めします。次の一歩は安全か、石につまずかないか、転ばないか、落葉の下には木の根っこはないかなど瞬時に判断しながら歩を進め知らず知らずのうちに脳に刺激を与え免疫力を高め、健康寿命に良い結果をもたらします。結果それが社会貢献につながればいうことなしです。わたくしの住む近くには横谷渓谷始めたくさんのトレッキングコースがあり、別荘内は良いトレッキングコースでいっぱいです。蓼科の都会では味わえない自然の中での健康的なライフスタイルそれがわたくしの生きがいなのです。

                         乙女台 M・S




蓼科ビレッジのだんご三兄弟   オーナー会の皆さまお元気ですか 今年もオーナーさんとの集いを楽しみにしています    

〔蓼科のだんご三兄弟〕ご存知ですか? 多分ご存知ないと思います       今から約15年位前、蓼科ビレッジ別荘の親しい住人達はお宅に友を招き著名な先生方の文学講座を開いたり美術骨董品、絵画の展示会、音楽会などを定期的に開かれておりました。それは TATESHINA DE NIGHT  蓼科でないと! と称して集まっては 美味しい山の幸を喰らい勀酒を酌み交わし別荘生活を楽しんでおりました。偶然にもその席で昭和六年生れ1931年同年輩の三人が契りの盃を交わしました。 だんご三兄弟の始まりです。

    本年は 羊年 何かしら目出度い 七回目の年男 84歳を迎えました 戦時中 の育ちで食べるものなく 羊の大好物 紙を喰らい? ひもじく、けなげに生きて参りました 本年は久方ぶりに年男達と長寿を祝してビレッジで会いたいなあ!と念じてます。  因みに今も白樺平在住のO氏 は学生時代は関西学院大学の有名なラグビー選手であり、奇遇にも私も 同志社でラグビー選手であり敵味方でボールを蹴りあった仲間でした。 そして S氏 は滝見平在住の方であり商社マンとして海外生活のご経験は多大のご教示賜りました。

蓼科ビレッジでオーナーさんとのお付き合いは実に楽しくいろいろお知恵も沢山いただきました 今後ともよろしく楽しみましょう

                    

                     朝日ヶ丘 T. H.


 

 

四季採の移ろいを愛でながら

 

 

弥生3月 今年も既に2か月が過ぎ去って仕舞いました。 すぐにでも色彩鮮やかな蓼科高原の大自然にどっぷりとひたりましょう。

山野草の神秘的な美しさや 昆虫達の可憐な姿 そして自然の営みは 間違いなく心 豊かなものにしてくれます。

昨年、 アルプスの山々に沈みゆく太陽の 感動に値する夕焼け空を数多く拝ませて戴きました。

10月19日17時03分 撮影位置に少し遅れての到着でしたが 秋色真っ盛りの時季 あの忌わしい噴火による多数の犠牲者を出した御嶽山の・・・ 『ご冥福を祈ります・合掌』・・・ 夕景を記憶だけで無く写真に記録する事が出来ました。 一瞬の短い時間の出来事でしたが 神々しく輝き後光を差しこみ 犠牲者を悼み擁護するような そんな風にも見える それは美しい姿でした。 山荘近くからは久しく望む事が出来なかった霊山の頂です。  これも 四区画から成る土地に 新しく完成した大きな山荘と そのお隣に山荘を構える方が唐松を主に 伐採して頂いたことで観えるように成った山容で感謝しての賜物です。

この地点 この夕焼け空の数時間前午後3時ころ 車を停め茣蓙を敷きコーヒーを点て 寛いでいらっしゃるご夫婦の方と 家内が会話した時 蓼科山を仰ぎ 遠くアルプスの峰々が見え隠れする環境について 羨ましい想いを語られていらっしゃったと聞いて居ります。日常生活の中でちょっと顔を向けることで 癒しとなる空間が目に入る そんな環境を好ましく思い山荘に滞在して居ります。

 強風吹いたとき唐松の小枝が遠くから 我が山荘の庭に多数落ちて来るように成りました。 風通しが良く成ったからですが 節度ある伐採は環境を整えるには 必要な事では無いかと考えております。

 7年前に唐松・赤松を伐採し 3年前に鹿よけフェンスを自製してから”ササバギンラン“”ミヤコアザミ“など また、名も知らない草花が多数生まれ育ち 昆虫など生き物も増えてまいりました。

 時が過ぎゆくごとに変化する 自生の山草を愛で その花々に群がる虫たちを追いかけ カメラに取り込む 一つの趣味としても楽しんで居ります。

 家内の土いじりする時間も多くなり通常はできない行動で 体力を維持する事が出来ることも嬉しく思っています。

若かりし頃は 正月はスキーと決め訪れておりましたが 現在は冬の山荘に滞在する事が少なくなりました。 近年では5年ほど前 越冬を体験しましたが その時は事情が有っての山荘滞在であったため 自然を感じ観るこころの余裕などは無い状態で ただストーブの揺らぐ炎を見つめて居た様に思います。

ある定住者いわく、 冴え返る大気 凛とした静けさの中で 樹氷や新雪に朝日が合琉した時などは 紅葉よりも春の芽吹きよりも 好ましい思いで愛でていらっしゃると。

四季採のうち三季採を自分たちの感覚で 冬季の彩りは その方の思いを合わせて四季採を楽しみ愛でて居ると云う事で・・・。 来季は越冬生活を・・・。

 すでに今年も2月20日ころ あの御嶽山の向こう側に奇麗な夕陽が沈んでいった事でしょう。

                                                                    しゃくなげ平 (M.T.




身土不二(しんどふに)

こぶし平91  T.M.


     河童うり                     糸萱かぼちゃ

 

 身土不二(しんどふに)とは、元々は仏教用語、明治時代に軍医石塚左玄氏が身土不二の考えを日本の食文化に置き換え“地元の食品を食べることは体に良い”と提唱され広まった。最近では多くの方々が地産地消のスローガンとして使っています。

昨年秋地元糸萱の方から、“河童うり”と“糸萱かぼちゃ”を頂きました。どちらも、昔から糸萱周辺で作られてきた野菜とか。河童ウリは、その見た目とは異なり、皮をむき種をとれば、シャキシャキとした食感で酢の物にも最高。 糸萱かぼちゃもほっこりと美味で、去年から町おこしの目玉として売り出されたそうです。

私は、播州姫路で育ちました、親の時代は種はまだ自家採種がかなり行われていました。その年に育った立派な作物を選びその種を採取、翌年に種まき、収穫、採種の繰り返し。先祖から綿々と受け継がれてきた単調とも思える作業、それがその地にあった地場作物を育て、特有の食文化を育んできました。しかし親の時代以降は、大量生産・均質で画一性に適したF1種が主流となり、種は種苗メーカーより購入するものになりました。 今や種は国際的なビッグビジネス、“種を制する者は世界を制する”とまで言われ、現在遺伝子組み換えを手がける世界的企業6社が市場の2/3を席巻し、在来種・固定種は急速に失われつつあります。

農耕は、人類が1万年前から、種をまき、作物を育て収穫、採種作業を脈々と繰り返してきました。環境に適し、多様で豊かな食文化を育てる在来種・固定種を大切にしたいものです。

今年は頂いた河童うり、糸萱かぼちゃの種で苗を作る計画、上手くいけば皆さんにお分けしたいと思っています。

  

  F1種 ; 

・異なる性質の種を人工的に掛け合わせてつくった雑種の一代目
・F2(F1の種から採取した種)になると、多くの株にF1と異なる性質が現れる。
・生育が旺盛で特定の病気に耐病性をつけやすく、大きさも風味も均一。
大量生産・大量輸送・周年供給などを可能にしている。
・自家採取では、同じ性質をもった種が採れない(種の生産や価格を種苗メーカーにゆだねることになる)

  固定種
・何世代にもわたり、絶えず選抜・淘汰され、遺伝的に安定した品種。ある地域の気候・風土に適応した伝統野菜、地方野菜(在来種)を固定したもの。
・生育時期や形、大きさなどがそろわないこともある。
・地域の食材として根付き、個性的で豊かな風味を持つ。
・自家採取できる。

(出所 http://ing-hompo.com/modules/post/index.php?content_id=102


  


  蓼科ビレッジオーナー会の皆様へ

                      蓼科ビレッジオーナー会会長

                            山本恵志郎

 

 新年明けましておめでとうございます。

 本年もオーナー会の活動にご協力宜しくお願いします。

 

この秋、北海道でも大量のサケが河を遡上するとの情報をキャッチ早速知床へサケ釣りに出かけた。

アラスカでのサケ釣りには馴染んでいたが、北海道でのサケ釣りは全くの未知の世界。

まずは空路女満別へ飛びそこからレンタカーを走らせて知床斜里の街へ。

そこの安宿に逗留していよいよ行動開始、釣り道具や仕掛けを購入して早速釣り場へ直行する。 

原生林の中果てしなく続く直線道路、遠くにオホーツクの白波、民家も疎ら人影なし、途中海へ流れ込む河に架かっている橋の上で車を停めた。

何気なく川面を眺めてビックリ、池の鯉どころか河巾ビッシリ、サケの大群。

どう見てもこれから遡上しても快適な産卵場所は見つかりそうもない河の様相。

途中には砂防ダムやら障害物がいっぱいありそう。 

この時期一般釣り客には河口周辺だけがサケ釣りに解放されているとのこと。

その河口に近ずいてまたビックリ、無数の釣り人、肩と肩が擦り合う大混雑。

互いの釣り糸が絡み合い、秩序もマナーもむちゃくちゃな戦場状態。

それでも大波に乗って押し寄せる秋鮭がどんどん釣れ出す。

いい場所に陣取った釣客は大物をどんどん上げている。 規制ゼロ。釣り代タダ。

波間に見える魚影から判断しても何千何万のサケが河口に集結しているのが想像できる。

日本でこれだけの自然資源が目の前に広がっている光景は、アラスカにも負けない。

アラスカでは科学的方法で遡上サケの数を数えたり、自然保護の規制のもと数十年前と変わらない快適な状態で釣りが、 キャンプが楽しめる。

北海道でもこの一帯をうまく整備し快適なキャンプ場、釣り場にしたら日本中の釣り愛好家はもとより東南アジアあるいは世界中からも人を呼べる地域にできる可能性は大。 

アラスカには鮭釣りシーズンに世界中から人が訪れ町中沸騰する光景があちこちにみられる。

経済効果としても計り知れないものが想像できる。

日本にはこのような素晴らしい自然資源がまさにゴロゴロころがっている、少し手を加えれば自然の中での豊かな遊びが創出できる。

日本人には残念ながら如何に手を加えたらいいかの知恵、これが苦手のようだ。

 

蓼科をはじめとして至る所素晴らしい宝の山が眠っている。 それを生かしきれなく現状を見るのは辛い。

宝を掘り起こせば私どものクオリティーオブライフもレベルアップするでしょうし、観光立国として日本が一躍世界のトップレベルに躍り出るに違いないでしょう。   

素晴らしい自然資源を生かしきれなく沈没を運命として静観するのか、個々がこれまでの人生経験を生かそうと行動に移すか、日本の未来がかかっている。

新年を新しい行動のスタートにしましょう。

    

       蓼科という空間

                                2014年12月  

         

 蓼科にささやかな山小屋をつくったのは1980年、36歳のとき。手狭な公務員宿舎の生活はなんとも息がつまる。別荘族とは無縁な家系にそだった僕にとり、考えてもいなかったことですが、歴史学関係の友人の誘いのおかげで、仲間4人で連続した4区画を確保したのがきっかけでした。毎年本屋に膨大な借金をかかえて年を越していた僕に、東京でマイホームなど建てるゆとりはない。山ならともかく安い。そしてほっとできる環境が待っている。山小屋は僕の家族にとってのファースト・ハウス。でも別荘とは呼ばず山小屋と呼ぶ。区画のりんどう平も「ビンボウ平」と呼びつづけている。 

このところ次第に、東京での生活より蓼科で過ごす時間が一気に増えてきた。できるだけ仕事を土日に集中させ、山での時間を確保する。その時間が増えるほどに、セメントとガラスに覆いつくされた都会の風景が、いかに異様なものかを痛感させられます。1970年代初期の石油危機の際には、無駄なネオンはすべ消え、深夜テレビも姿を消した。でも今、エネルギーの危機が叫ばれながらも、目がくらむ都会のまぶしさは、一向に変わる気配がありませんよね。

山小屋を作ったその前年から、毎年通ってきたメキシコの先住民の村も、ここ30年で急激な変化を遂げました。携帯電話は当たり前、パソコンをあやつり、ゲームに没頭する先住民の子どもも増えてきた。「文明」はいいものだ、と単純に考えてきた「文明社会」のあり方を、懸命に後追いしている姿に愕然とします。

こんな世の中をそのまま孫の世代には渡せない、と焦りつつも、政治や社会の責任を問う前に、文明に冒された自分自身の生活パターンを、ひとつづつ考え直し、それを実行してゆく以外にない。その意味で、蓼科の仲間たちから学ぶことは山ほどあります。自然とのやさしい関係をどう取り戻すべきか、そのためには、自分でどんな行動がとれるのか。人生の最後の「かたち」をそろそろ整えるべき時期に差しかかっている今の僕にとり、蓼科の生活は、まさにその「かたち」を豊かにしてくれる空間なのです。  (清水 透)

 


鹿との共生      201411

             小梨平 H.O.

 

霜月、蓼科高原は白銀が大空をキラキラと舞い落ちる季節を迎えます。

今年の長野県は7月の南木曽町の土石流災害や9月27日の御嶽山の噴火により数多くの犠牲者を出しました。亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

事ある毎に、自然に対する人間の不遜や慢心を戒められる思いがいたします。

 さて、農産物への甚大な被害は言うに及ばず、オ-ナ-会の「山荘に曾ての豊かな自然を取り戻そう!」との活動にとっても鹿の急増は対応の難しい問題になっています。

一度、人間が破壊した大自然の摂理を人の手で修復しようとすることなど不可能で傲慢極まりない事なのかもしれません。

茅野に在住の老人に伺ったところ「元来、蓼科高原には鹿はいなかったのが、開発が進むにつれて甲府に生息していた鹿が八ヶ岳、そして蓼科高原へと追われてきたようだ」と話してくれました。

 日本に棲む鹿はニホンシカで北に行くほど大型になり(ベルクマンの法則)、北海道に生息するエゾシカはオスで体重が140キログラムにもなるそうです。エゾシカは自動車を怖がらず、気付いてクラクションを鳴らしても逃げず、衝突事故が根室管内だけでも年間300〜400件あるそうです。

もともと、鹿は繁殖力が強く、5〜7月に1頭の子を産み、子は生後2年で性成熟するそうです。その上、人間社会が本来は自然の中で淘汰されていただろう鹿が生き伸びてしまうさまざまな環境を作ってしまった事が鹿の増大の一因を生んだようです。

平成25年、環境省が統計手法による生息数の推移を行い、本州以南のニホンシカの推定生息数は約261万頭(平成23年度)と公表しました。(エゾシカは64万頭-北海道庁推定)さらに、ニホンシカについて将来の生息数を試算したところ、現在の捕獲の状況が続いた場合、2025年にはその数が2倍まで増加してしまう結果になったそうです。 一方、ニホンシカによる農産物被害額は平成23年度で約83億円とされています。           

 平成26年5月30日に「鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律の一部を改正する法律」が公布され、「保護」から「保護管理」に重点が置かれることになりました。平成19年には「鳥獣被害防止特措法」の制定により、都道府県から市町村への捕獲許可の委譲が決まっています。                茅野市は2012年度に産業経済部農林課に「鳥獣被害対策実施隊」を設置、13年度には諏訪猟友会茅野支部の21名を委嘱し、非常勤特別職として「くくり罠」による鹿の捕獲を始めました。                                   「くくり罠」とはワイヤ-で作ったワナを仕掛け、鹿が踏板に足を踏み込んだ時にばねが弾いてワイヤ-が締まると云うものだそうです。                 捕えた鹿はその場で土を掘って埋めるそうですが、1日にして他の動物が掘り起こし全てを食い尽くしてしまうそうです。

13年度の茅野市でのニホンシカの捕獲数は1271頭で前年に対し462頭増えたそうです。(個体数の抑制のためメスジカの捕獲が主体になるそうです。全国での捕獲数は10年度で36.3万頭)

昔、イギリスに出張した折、初めて鹿肉の料理を食べましたが、美味しかったという記憶は余り有りません(有名なイギリス料理への評価のせいでもないのでしょうが--------

猟師の話によると、捕獲した鹿の内臓をその場で摘出し、冷水で素早く鹿肉を冷やしてやると肉の臭みが取れとても美味しいとの事です。

国としては、鹿の肉、皮(印伝等)、角を天然資源の有効利用として生す中で、この問題の方向付けをしていきたいようです。

近く、ジビエ料理の調理方法、運搬等についての法改正も成されるようです。

但し、上記のような流れの中でも、鹿の姿に会える現状の蓼科ビッレジ山荘は子供は勿論、大人にとっても癒される光景でもあります。

鹿との共存をどのように図ってゆくかは山荘の住民の重たいテ-マのように思います。

 

注)数字等は長野日報やその他の文献を参照させて頂きました。



  201410月         広 報


 実りの秋、朝夕の冷え込みが日々強まる季節となりました、今年の夏は天候不順で日照時間不足により、例年の実りの秋を迎える事が出来れば良いのですが?人間も還暦を過ぎれば実りの秋から初冬への移行期かも知れませんね。

 人生、心身が健康である事が一番大切な事ではないでしょうか、笑うかどには福きたるといいますし、常にポジティブ考える事と頭と体は日々いじめて甘やかさず動かし続ける事だと色々な方々から教えて頂きました、私は50歳の時にリウマチを患い3カ月間は全く歩く事や仕事が出来なかった事を経験しました、二度と同じ事を経験したくはないので、自分なりに心身を健康に保つ事を出来る限り実行しています、具体的な方法として。

 頭を使う方法で一番良いのは、他人と積極的に係わりを持つ事で、人間関係を充実させて、他人を認め協調性を高めながら自己表現を行なう事や、物作りをして手先を使う事、誘われれば可能な限り御付き合いをする事。

 身体は毎日動かす事、私は速歩で二時間近くを毎日歩く様にしています、蓼科では薪作りや日曜大工等の肉体労働をしなければならない事が多くて、毎日は歩きには行けませんが、車は可能な限り利用せずに歩く様にして、身体を毎日動かす様にしています。

 蓼科高原の山荘生活をしておられる中に、素晴しい人生を送っている方々が多くおられ見習わねばならない思いながら、時に流されてしまっている情けないのが現状の私です。





  2014夏・蓼科にて  

                                        麦草平 Y.Y


 今年の夏は天候不順で各地で自然災害が発生しています。長野県の南木曽町はじめ「平成268月豪雨」で亡くなられた方々に哀悼の意を表し、被災された方々に心よりお見舞いを申し上げます。東京の家は神田川と善福寺川の合流点にあり常に浸水を心配しています。6月に三鷹・調布地域に大量の雹が降った日はたまたま東京におり、家の近辺はそれ程、雨は降っていなかったのに、短時間で警戒水位に達し警報が鳴りました。そのような地域に住んでいますので、テレビで拝見する災害地の様子には心が痛みます。

 さて、ここ蓼科も残念ながら夏らしい空にお目にかかれる日が少ないまま、夏が終わろうとしています。特に麦草平はいつも雲の中という感じで、少し下まで下りていくと夏空になり、さらに茅野の市街に入ると30度を超える暑さで、帰りがけに見上げる蓼科山も我が家も雲の中でした。

 子供達に自然をと思い、山荘を建てて今年でちょうど30年です。東京の家の前で高層マンション工事が始まり、騒音・振動・ストレスで体調を崩し、医師の勧めで昨年6月から、ここで暮らしています。そして、初めて冬を越しました。東京の家はすっぽりと建物の影になり冬は凍えるような寒さで何か対策をしなければ住めない状態になってしまいましたが、30年前に建てた山荘は暖かい日差しを浴びて日中はストーブを消しても過ごすことができ、1日中、ストーブをつけていた日は一日もありませんでした。まさに北風と太陽の話のように、お日様のありがたさを実感しました。「寒いでしょ?」と聞かれますが、東京の建物の影だらけの心の中にも北風が吹くような寒々しさに比べれば、ここの凛とした透き通るような寒さは心地よささえも感じられます。

 工事は終わりましたが、奪われた住環境を思うとストレスで東京に帰ると体調を崩します。自然の中での暮しが心と体の傷を癒やしてくれています。積極的に蓼科で暮らすことを選んだわけではありませんが、これもまた人生と思っています。



 

      蓼科の8月           2014 広報

 

  蓼科高原に又あの素晴らしい夏がやって来た …

 

  都会では50年振りの大雨と突風が日本中を我物顔に暴れ回り…

 

  梅雨明けと同時に40度の記録的な暑さに、満員電車の冷房も効かず

 

踏まれた足の痛さに額の汗で目も霞み…ふと見上げた車窓の四角い空

 

…夏空の抜ける青さに蓼科高原の爽やかな風が懐かしい…

 

そうです…高原においでなさい…

 

夏の暑さと寝苦しい夜にそして忙しい人生に少し疲れたら…

 

青い空と透き透る風、そして聞こえる楽しそうな子供たちの声…

  そうです…高原の白樺の木陰でお休みなさい…              梟 

 

 

 

   蓼科スローライフ

                   20147 桔梗が丘 A.N


 
山の中の暮らしなんて、私に出来るのかしらと、不安を感じながら、暑い都会から蓼科にやって来たのが8年前の7月でした。

 朝、小鳥の声で目覚め、清々しい涼風の中で、緑の木々を眺めながら始まる1日

 観葉植物位しか知らなかった私にとって、初めて見る山野草の数々

 スーパーの店頭でしか見ることの無かった山菜を、愛犬との散歩で見つける楽しみ!!

 

 

 観光に来ている時とは違う季節の移り変わりを実感する日々に、不安など何処かに置き忘れ、四季折々の楽しみかたを見つけ出し、ゆったりとした時を過ごす贅沢な日々です。

 また、オーナー会に参加して、今までの仲間とは、年代も環境も異なった方々と知り合った事で、人生後半に入って新しい発見や刺激を受け、新たな楽しさを教えて頂き、蓼科でのスローライフを楽しく過ごしています。

 

 

 梅雨も明けて、蓼科の一番良い季節がやって来ます。

 みなさん! どんどん蓼科に来て、思いっきり蓼科での山荘生活を楽しみましょう!

 

 

 

 

    蓼科で想うこと   

              2014. 6 朝日ヶ丘 T.H

  

 

私の別荘生活は今年で半世紀になりました。

友人の山荘を1964年(昭和39年)に譲り受け今日に至っています。 50年の長きに渉って よく維持することが出来たのは蓼科の魅力であります。

人生の大半を楽しませてくれた蓼科に、感謝!感謝!

関東・関西から音楽仲間がやって来て演奏会を楽しみ、仕事仲間とゴルフ、当地で友人も沢山できました。 

さて、過ぎ去った日々を顧みると、私は次のように感じます。 

別荘生活は、自然環境と相和しながら、個性豊かに楽しむ事ではないでしようか?

 

 昭和26年頃蓼科が別荘地として注目された頃 当地で、別荘生活を始められた日本映画界の巨匠,小津安二郎監督とシナリオライター野田高悟氏が山小屋『雲呼荘』で多くの素晴らしい映画を製作されました。

 野田先生は、蓼科の魅力を次のように表現されました

 

『高原の風趣、気温の清和 以って都塵を避くるに足る

 佳き哉蓼科  楽しき哉蓼科

 夏は酷暑を避けてここに到れば、心身おのずからのんびりとして、世俗の煩はしさを忘れる。

 茅屋、何ぞ意に介するに足らん』 と

(無芸荘に残された野田高悟氏の蓼科日記から引用)

 皆さん!楽しい別荘ライフを送りましよう。

 

 

 

 

  蓼科高原の暮らし三十一年目

 

                20145月 しゃくなげ平 M.T

 

竣工間もない蓼科湖を横目に 蓼科山を垣間見ながら 未舗装の部分もあったビーナスラインをドライブしました。 その時の雲海の中に浮かぶ八ヶ岳連峰を目前にした時の光景は今でも思い出します。もう五十年ほど前の出来事でした。

 そんな出会いから 数年ののち、プール平 今の郵便局の裏の裏道沿い 滝の湯を左下に見る位置に山荘を構えた 大先輩がいらっしゃって知り合いと成りました。

 その山荘にお邪魔できる機会を戴き 十年近く この蓼科高原の散策を楽しんでおりました。 その様な中 この環境は好ましく素晴らしいと悟ったのでしょう。 新聞広告で見付けた別荘地の資料を取り寄せ、今は存在しない “蓼科ビレッジ緑山案内所” に飛び込み“本田さん”に案内されて 即日決定で購入した経緯が有ります。

 その即日の最後に案内された区画は 遥か遠くに連なる残雪で化粧をした 北・中央・南アルプスの山々 槍ヶ岳・穂高連峰・乗鞍岳・御嶽山・甲斐駒ケ岳など 右手に蓼科富士 もちろん車山・霧ケ峰も 左手近くには あの八ヶ岳の山々が見渡せる場所でも有り 形のよい唐松で体裁を整えた標高1700mの 見晴らしの良い一画でした。

 山荘を建てる時 すこし軒高の平屋建て “天窓付”での願いで 前出の大先輩に紹介された 安曇野の近く 池田町の建築家さんにお願いしました。三十二年前の事です。

 近年、やっと時間を持てる様になりました。 その天窓の下 和室の少し高めの天井裏 二十数年間手付かずの空間を オーナー諸先輩のお力添えで快適な “居心地の良い隠れ部屋”を誕生させる事が出来ました。

 そしてチエンソーの取り扱いも習得でき「完璧では有りません」 楽しみながら薪割りも行なえる様になりました 背筋を伸ばして”エイッ”とね。 すべての完成度は いまいち なれど その達成感は100パーセント。思い入れのあるこの蓼科高原で お気に入りの風景に囲まれ 自由気ままに行ったり来たり 老化分の体力維持をめざし 楽しませて頂いて居ります。

 皆さん この大自然の山だから出来る事にチャレンジしませんか。 我慢すること無く 無理すること無く 冒険に変えて 山荘生活を楽しみましょう。 オーナー会主催の参加型実践間伐会を随時開催しています見学参加自由です。 正月号に載っておりました 不便を楽しもうと その不便も自分なりのちょっと上質な不便に変えましょう。 楽して食さず ひと手間かけて “山桜のチップで燻製作り“ その漂う煙を追いながらグラスをかたむけるなど如何でしょう。

 蓼科高原は素晴らしい 色彩鮮やかな四季を持っています。

 蓼科の生活を持つことで、夏以外の、春・秋・冬は季節感を倍加して味わえます。

 巷は初夏の装いです。

 今、ここ蓼科に出向くことで 春をまた 初めから体感出来るのです。

 五月 残雪もある芽吹きの季節です。

 

 

 

    蓼科の自然、その恵み

 

 

                   平成264月  こぶし平 TM

                                                                

 

 大雪の厳しい冬も過ぎさり、私の住む神奈川も桜の季節を迎えました。

人参や葱が雪の下で甘くなっていると思いながら、11月初旬に山荘を閉めて以来、大雪のニュースに足がすくんでいました。新しい芽吹きの季節を前に、私も長い冬眠生活からやっと起きだし、今月より畑の準備にかかります。

 

団塊世代に生を受け、シャカリキに駆け抜けた現役生活を2年程前に終え、毎日が日曜日の生活。今、思う事は自然のかけがえのなさ。ストレスの多い競争社会の中で、週末自然の中での山荘生活にいかに癒されてきたことか。 人は、自然の中で生かされていることを実感する毎日です。

 

それにつけても、思い起こすことは福島原発で故郷を離れざるを得ない方々のこと。自然豊かな故郷を離れ、家族離れ離れの生活の苦悩がどんなものか。

“うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川------

今年で震災から満3年、なかなか進まない復興支援、色々な支援活動の場でもよく歌われる唱歌、ふるさと。この歌に、どれほど多くの方が涙したことでしょう。

 

東電故吉田所長、危機的な状況の中で、自らの命を懸けて海水注入を続け暴発を防いだサムライ。それに比べ、自らの保身の為に真実に口を閉ざす方々。私たちは、どんなに大きなものを失ったのかを、真摯に反省することから始めないと。国が、政治が、会社がと他を批評するのは容易。まずは自らが出来ることを一歩ずつ、豊かさは自らの心の中にあるものと思う。

 

素晴らしい自然と気候に恵まれた蓼科。地球温暖化により、ますますその価値は高まっていくのでは。昨年、家内とスイスを訪れヒュッテをベースにハイキングを楽しんできました。美しい自然に溶け込んだ村の風景、整備された多くのトレイル等々彼らがいかに自然を大切にしているかを肌で感じることが出来ました。私たちの愛する蓼科の良いお手本ですね。

 

でも大自然のまえには、人間などちっぽけなもの。生きると言う事は、他の動植物の命を頂く事。感謝の気持ちを大切にしないと。欲望のままに生きている自らの姿を自戒しつつも、少しでも蓼科の自然の恵みに感謝し、“足るを知る“生活を過ごせればと思う。

 

 

 

                                   平成26年 3月

 

弥生三月、冬から春の息吹を実感する季節へと移り変わる時です。

 

芽吹く木々を見上げて大きく深呼吸をすると、新しい力が全身を包んでくれます。

 

陰暦での弥生は現在の四月頃で、この春たけなわの時期は、萌えいずる草木がいよいよ生(お)い茂り盛んになることで「弥(いや)おい」といい、それが「やよい」になったそうです。

 

春は又、雪を割り淡く凛と咲く梅の花から柔らかく濃いピンクの花を咲かせる桃の花へのバトンタッチの季節でもあります。中国の春節では街の門々に桃の花を飾るのが習わしです。(花開富貴)

 

 因みに、この月の別の呼び名には、花見月(はなみつき)、染色(しめいろ)月、桜月、季春(きしゅん)、桃月(とうげつ)、雛(ひいな)月、夢見(ゆめみ)月など沢山あるようです。

 

同じ月の呼び名をこうも細やかに使い分ける古人のたおやかさに敬仰させられます。

 

 未だに、私は3月の蓼科山荘生活を知りません。東京では3月ともなると、甘い香りをまだ残した沈丁花、猫柳、白木蓮、辛夷、庭の黄色いサンシュウ、そして少し早咲きの赤蘇芳が木々に花を咲かせて、春の到来を告げてくれるのです。

 

きっと、蓼科山荘の3月は霧氷、雨氷、雪崩の残る、厳しい2月の様な寒さが続いているのではと、寒がりやの私は敬遠してきたのです。

 

最も、私の寒さ嫌いは道理に合わないものなのかもしれません。私は中国の黒竜江省ハルピン市で13歳まで育ちました。ハルピンの冬は寒く、平均気温が零下20℃〜30℃で、一冬に数日は零下40℃を下回ります。

 

ハルピンの春は遅く、5月初旬、市の東方を流れる松花江(ロシア名;スンガリ-)の厚さ5メ-トルを越す氷が流氷となり、江岸の柳が芽を吹くとやっと春を迎えることが出来るのです。

 

 昨年の暮れ、一年振りに家内に誘われるまま、映画「ハンナ・ア-レント」と「鑑定士と顔のない依頼人」を立て続けに見ました。

 

「鑑定士と顔のない依頼人」は2回見たと云う人もあり、娯楽映画としては中々の傑作でしたが、私にとって「ハンナ・ア-レント」は示唆に富んだ映画でした。

 

マ-ルブルク大学でハイデガ-に師事したドイツ系ユダヤ人の主人公ハンナ・ア-レントがアドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、決して極悪人とは程遠い、ごく平凡な人間のアイヒマンがあのような悲惨な虐殺を行った真実を<悪の凡庸さ>として世間に問いかけます。

 

体制の中、多くが思考を停止し、ただ従うことしかしなくなった時、歴史は暗転するのでしょう。

 

今日ほど「考える」ことの重要さを問われている時代はないように思います。

 

春の兆しの遠い蓼科山荘で、たっぷりとした時間と、薪スト-ブの赤い炎の中、我国の取るべき道について思考している自分を想像してみるのです。

 

  

 

     自然との35

 

                      平成262

 

 

 「ピシーー!!」「バキーーン!!」静まりかえった新築の家に、突然響きわたる柱のひび割れの音。外ではガサゴソと、なにやら動物のうごめき。ライトを照らして目をこらしてみれば、真っ暗闇に四つの目がじっとこちらを凝視している。りんどう平のわが家の周辺はまだ森のみで、都会の生活しか知らなかった僕たちには、真夜中の山荘は不気味でさえあった。

 

 あれから早くも35年、人生のちょうど半分を蓼科と付きあってきた計算になる。あの頃はわが家の庭にも、野生のリンドウや高山植物が季節ごとに花をつけ目を癒してくれた。ビレッジの職員さんたちも、自ら山を切り開き、別荘地開発に直接たずさわった方が多く、時折り、野菜やキノコを届けに立ち寄ってくださり、木々の名前や山との付き合い方も教えてくれた。

 

 子どもたちもまだ、上の娘は小学校の低学年、下の息子は保育園通いだった。23歳で旅立った娘にとっても、すでに2児の父親となった息子にとっても、蓼科は忘れえぬ思い出の場となった。

 

 あの時以来蓼科は、僕にとり休暇を過ごす単なる別荘ではなく、人生の生活の一部であり、自然とともに生きることの意味を教えてくれる貴重な場でありつづけている。

 

 仕事に追われるワイフを東京に残し、一人山荘の仕事部屋から外に目をやると、ふと思う。自分をふくめ、人間という動物がいかに身勝手かの問題だ。自然の一部であり、いつかそこへ戻ってゆく身でありながら、自然を征服できると思いこみ、自分たちの目先の楽しみと便利さのみを追求してきた人間。

 

 35年間、この自然のおかげで、癒しの時を楽しんできたのなら、そろそろ自然に恩返しすべき時かもしれない。この間、通いつづけてきたメキシコの先住民マヤの世界では、樹木一本伐り倒すにも、感謝の儀礼を欠かさない。自然への「ありがとう」の気持ちだけは、これからも忘れないでいたい。

 

 

 

 

 

 蓼科ビレッジオーナー会の皆様へ
                    平成26年元旦

 

 明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願いします。

 この年が皆様にとりまして素晴らしい年でありますよう祈っています。


 この冬のことです、雪の積もったある林道を進んでいたその時に前方雪の斜面上部に2頭の大きな鹿が現れました。ハンターは素早く銃を構え1発バーン、鹿はわずかに身を振るわせるや跳ぶように林の中へ消えさった。

 この初冬、北海道日高地方に住むあるハンターを訪ね、熊と鹿の猟りに同行する機会があり、その模様です。

 私たちは鹿が立っていた地点まで斜面を登り鹿の足跡を見つけた。真っ白い雪の上に小さな血痕が続いておりそれを追った。やがてその足跡は沢の手前で終わっていた。冷たい沢をざぶざぶ徒渉し対岸に渡った。そこから更に血痕が続いていた。薮を分け入るやすぐの所で大きなエゾ鹿の命果てた巨体を発見した。

 3人がかりで鹿を引いて沢を渡り手前の雪原に横たえた。 そこで解体が始まった、内蔵からは凄い湯気が立ち上がり、純白な雪面は血抜きであっと云う間に真っ赤に変わった。

 同行の中国人の友だちは中国料理の達人でもあって、解体中の鹿の心臓、肝臓、胃袋、更には頭、足、耳までありとあらゆる部位を此れは美味いよといって持って帰ることになった。

 なるほど机、椅子以外はOK。その晩は勿論彼の鹿料理で大いに盛り上がった。

 解体の過程は一般人にはとてもじっと見ていられるものではないでしょう。

 私達は日頃、肉もホルモン焼き食材も奇麗にパックされた状態でスーパーから買って来て当たり前のように食べています。 毎日毎日いろいろな命をもらって生き長らえていますが、その根源、過程に思いをはせ感謝することなど忘れています。

 農作物も全くいっしょです、エネルギー源もそうです、今は手近、便利さに完全に溺れています、クリック一つで問題解決の世の中です。

 最近この様な社会から一目距離を置いて人間社会を考えてみることの大切さに気が付き始めた人々が増えています。

 山荘の生活は正にこれに近いよい位置にあります、山荘を基地に田畑を耕し、米、野菜を自分で作ってみる。 汗して間伐した唐松を焚いて暖かい冬を楽しむ、電気、ガス、オイルの消費も減ります、山荘ではいろいろな試みが出来ます。不便を楽しみながら新しい発見や、考えるきっかけが見つかります。

 皆様、今年も山荘生活をより充実させましょう。

 

          蓼科ビレッジオーナー会会長 山本恵志郎

 

 


  12月~静寂のなかの忙しさ

 

 朝晩の冷え込みは零度を下回り、霜柱で庭は覆われている。ところが、日中になるとぽかぽかと暖かい。こんな天候を冬麗(ふゆうらら)と云うそうだ。

 のんびりと長椅子に寝そべって雲一つない天空を眺めながら行く年を振り返ることにしようか。

 が、まてよ、雪は突然やってくる。その為の準備をしているつもりでも、いざその場になると慌てふためくことが多い。ストック充分の薪も大雪に閉ざされて運ぶのに苦労した苦い体験もある。焚き付けが不足して着火に手間取ったことも多い。

 除雪の道具の点検もしなければならないし置き場所にも工夫が必要だ。そのうち、冬休みに入れば、小さなお客様がソリ滑りを楽しみに来るだろうからそのスロープも整備しなければならない。考えてみれば、やり残しの庭仕事も多い。快適な冬の暮らしと楽しい年末を過ごす為に、当分の間、のんびりと寝そべるのはお預けのようだ。

 

 

2013年11月

                      広 報

 

 秋が深まり過ぎ去ろうとしている、蓼科高原では早くも初冬の佇まい。そろそろ、初氷が張る頃で水道の閉栓や凍結防止体の電源を入れる季節となりました。

 先日、紅葉が終ってしまい静寂に佇む白駒池で朝食を食べました、高原の冷え切った清々しい空気の中で、水面のさざ波や流れ込む小川の水音に癒やされながら、パンと暖かいコーヒーとバナナだけの質素な朝食でしたが、素晴らしいブレックファーストでした。 

 いつ来ても蓼科高原の空は綺麗で、特に晴天の夜空は絶賛する時があり、都会ではもう見れない天の川銀河を見る事が出来、幼い時の記憶にある夜空がよみがえって来ます、そこから派生して色々な事を思い出して、郷愁にふける事も出来ると思います、やった事のない方は試してみて下さい。

 

朝食を取った白駒池

 

 

 

 

 

 

 

2013年10月

     

広報

蓼科高原が一年中で一番輝く季節です。
 
紅葉の名所、横谷渓谷も最近は観光バスで都会からのお客さんで一杯。
 
でも上高地や乗鞍高原まで紅葉を見に行く必要は有りません。
 
蓼科ビレッジの山荘周辺を散歩して見ませんか?
 
いつもの庭の燃える様な真っ赤な楓、
 
輝くように黄色に染まる隣の壇香梅、
 
唐松伐採で見事に色づく我が家の山もみじ。
 
抜ける様な青空の下散歩で一汗かいたら、温泉でホッコリ。
 
香り高い新そばを手繰って〆は「ダイヤ菊」でホンノリ。
 
考えるだけでウキウキして喉が鳴ります。
 
水止め前に是非蓼科の秋を味わいませんか?

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